このブログは、コミュ力が低いと問題がある・・・と決めつけてしまう人が
いるのだろう・・・
について書いたものです。
・コミュ力がない・・・と悩んでいる
・コミュ力ないと言われて落ち込んでいる
・コミュ力がない人は、無能と書いてあったので落ち込んだ
私も職場や会社では、うまく上司に気に入ってもらえるように
媚びるのが苦手でしたので
あなたの辛い気持ちもわかります。
結論から言えば
コミュ力が低くても不器用なりに
相手を思いやる気持ち、相手の話をうんうんと最後まで聞くこと、
挨拶ができればいいと思うのです。
確かにコミュ力が高い人は、相手に気に入られるために
職場でみんなの注目を浴びたり、上司に媚びるのが上手な人が多いです。
結論
私は、コミュ力が低いと悩んでいる人をおかしいとは思いません。
なぜなら自分のことを反省できたり、
自分がコミュ力が低いことがわかっていて勉強しようとしたり
しているから。
人より発達が遅いだけで何がいけないのか私はよくわかりません。
自分のした間違いに気がつくことができるから。
私には欠点があると気がつくことができるのは長所でもあります。
長所だと思います。
ただ相手の気持ちを考えすぎて自分も苦しむのが難点です・・・(⌒-⌒; )
本当にコミュ力が低い人なら私は、コミュ力が低いのだろうかと悩まないし、
自分のことがバカとかだなんて絶対思わないからです。
言った発言も忘れていることでしょう。
あなたは、障害者だよね?と言われた時怒り狂うでしょう。
バカだとは思っていないので。
わたしが本当にコミュ力が低いと思う人は、
平気で人格否定をする人、想像力がない人、悪口を言ってもなんとも
思わない人、傷つけてもなんとも思わない人だと個人的に思っています。
私は、好きでコミュ力が低くなったわけではないです。
みんな同じにようにロボットみたいにこなすって怖い
小さい頃・・・毒親などから精神虐待を受けたりすると
ショックで話せなくなります。
愛情不足だと特にうまく話せなくなります。
子供は、ものではないし、人形じゃないのです。
子供に見て覚えろ・・・は難しいのではないかなと思います。
愛情を持って一つずつ大人が一緒に手をかけて教えていくのが
一番だと思います。
最初からできる人なんていないのに
忘れている大人が多いように感じます。
私も好きでコミュ力が低くなったわけではないのです。
確かにコミュ力が高い人の方が職場では得します。
コミュ力が低いと悩んでいた時は、うまく喋れる人が羨ましい・・・と思いました。
大人になれば、うまく喋れないと何も知らない
大人からは、子供ではないんだからね💢
幼児ではないんだからね。と心無いことを言われます。
大人たちは、見た通りのことしかわからない人も残念ながらいます。
今の世の中は、想像力のない人が増えたなあと思います。
今の人は、想像力がない人が多いように感じます。(あくまでも個人的に思うことです)
ぬくぬくとした環境で育って辛いことも体験したことがないのでしょう。
全員がそうというわけではないのですが今の世の中は、便利すぎて
ありがたみを忘れた人も多いと思います。
現代は、忙しすぎるのもあるかもしれません。することも多いですし
休むも間もなくバタバタと忙しそうにしている。
私が思う子供の時に受ける愛情
私が思う愛情は、子供が喜怒哀楽を出したら受け取ってくれる大人だと思います。
子供が怒ったり悲しんだりしているのは、
話を聞いてもらいたいから。
欠点のある自分を認めてほしいからです。
私は、こんなにも頑張っているんだ。
ねえ私を見てと言っているのです。
すごいよと言ってよ。
時には、間違ったことをしたら叱ってくれたり
あなたの良いところをあったら見つけて言ってくれるところ。
優しく暖かく見守ること。困っていたらヒントを出したり
辛い時、苦しい時、悲しい時などに私は、辛いの・・・と言ったら
否定せずに子供の話をちゃんと聞くこと。
辛い時に抱きしめること。
子供が欠点のことで悩んでいたら・・・
欠点のことを指摘して直せ!というのではなくて
その子の良いところを言ってあげたり
そのままのあなたでもいいんだよ^^と笑顔で言ってくれること。
子供の話をバカにしないこと。
子供の意見を受け止めること。
理不尽な怒鳴り、無視、黙り込む、けなすことで子供は、愛情不足になります。
強くなるどころか弱くなります。
自分は、ダメなんだと悩むようになります。
逆に自分がされたらキレる毒親が多いです。
自分のことは、敏感なのに・・・
人のことはわからないと言う人も残念ながらいるのです。
まとめ
愛情不足だとコミュニケーションがうまく喋れなかったり
話せなくなります。
人の心は、物を与えるだけでは、愛情は、育たないです。
子供は、時には、ショックで喋れなくなったり、うまく話せなくなったり
して心を封印してしまったり殻に閉じこもったりして
自分を守る姿勢に入ります。
あまりにも悲しみと深い傷で
しゃべれなくなったり人とうまく喋れなくなるんです。
現実は、親がごめんね。悪かったわと
愛情を持って接するなんてことは、
物語のようにはいかない。特に毒親の場合、ハッピーエンドで毒親が変わる人は、
残念ながら99パーセントいないです。
まだ自分は、毒親かもしれない・・・と気付ける人は、
まだ良いですし、誰にだって間違いをして
しまうこともありあす。大事なのは、それに気がつくことができるかです。
子供に悪いことをしたと思うのはまだ良いです。
毒親は、悪いことをしたとは思わないし、全て他人のせいだからです。
それだから毒親なのです。
本来なら親、家族などが愛情を持って接するのですが
残念ながら愛を持っていない人もいるのです。それを自分で認めます。
だから 自分で自分を愛情を持ってを接します。
親みたいに愛情を持っていない人とは付き合うのをやめるのを
選んでもいいです。
自分のことを丁寧に接してくれて
愛情を持って接してくれる人を選んでもいいのです。
うまく喋れなくてもいいのです。
私は、コミュニケーション不足は、自分に愛を少しづつ与えること
周りの優しい人と付き合って愛を少しづつ
もらうことにより少しづつ話せるようになる
のではないかと思います。
もちろん個人差はあります。
すぐにはできないけれど少しづつ
一個ずつ少しづつクリアしていきます。
自分のことをぎゅっと抱きしめます。
個人的な考えを言います
私は、完璧な人間なんていないと思います。
できないことがあってもいいじゃないと思うのです。
私からしたら完璧な人いるのですか?と聞きたくなります。
私も好きで発達障害になったわけではないのです。
私は、発達障害という言葉があまり好きではありません。
なぜなら人間は、完璧な人間はいないのにうまく喋れなかったり
言葉が遅れて出たり覚えるのが遅かったりしただけで
発達障害というのは失礼ではないですか?・・・と思うからです。
私も生きていたらあなたって
失礼かもしれないけどあなたって発達障害だよね・・・?
と聞かれた時は、ショックでした。
いくら普通の人を装っても変人と言われてしまうのです。
みんなと同じという考えが昔から私にはよくわかりませんでした。
●おうむ返しに聞くこと
●演技が下手くそ
●仕事で覚えるのが遅いこと・・・
●コミュニケーションがうまくしゃべれない
●皆んなと同じことができない
●ぎこちない喋り方をする
●気遣いが苦手
●いちいち一個ずつ理解をしようとする
確かに今の世の中は、コミュ力が高ければ
世の中では得をするのかもしれない。
いくらい健全者のようにしてみても頭がおかしいねと
言われてしまいます。(相手は、傷つけないように軽い言葉で言っていたつもりでもです)
そうですね。私は、不完全な人間ですよ。
人間なんて完璧な人間なんていないですよ。
私は、人間は、完璧な人っているのだろうか・・・と思います。
99パーセントの人間は、完璧ではないと思います。
稀に天才がいるけれどほんの僅かですし。
想像力がないことがない大人こそ発達障害なのでは?と個人的に思います。
大人になるとね新しいことに挑戦しなくなる人が多いように感じるから。
保守的な考えになり、自分を身を守ることしか考えなくなります。
仕事に不安を持ちながらも文句は言うだけで、何も変えようとしない
勉強をしようとしない、新しいことに挑戦しない
残念ながら見た感想から判断できない大人もいるのだな・・・
と個人的に感じたことでした。
私は、見た目は、大人です。中身は、幼児のまま大人になっています。
好きでなったわけではありません。
だから障害があるの?と聞くのでしょう。
子供らしく振る舞うことができなかった人もいるのです。
その人たちにわかってもらおうとはしてないです。
私は、子供時代に子供らしく振る舞うことができた人は、恵まれていると思います。
よく考えたらこの国は、みんなと同じことができるように教育するのも原因かもしれません。
流行りなものをみんなに合わせますし、興味のない人は、自然と仲間はずれというか
話が合わないので離れていきます。
私は、テレビは、興味ないです。昔からそうでした。
みるとしたらアニメくらいでした。
変人でもいいじゃない。変わっていてもいいじゃない。おかしいと言われてもいいじゃない。みんな同じな人はいないのだから。
個人的におすすめな本
私が小学生の頃、読んだ本です。
子供向けの本なのですがその当時は、よくわからないけど胸に響いた記憶があります。
主人公あすかは、誕生日が近い時に自分のことをアピールしようとして
母親に嫌われてショックでしゃべれなくなってしまったのですが
祖父母、先生、周りの人の愛により・・・少しづつ話せるようになったりします。
今の世の中は、愛情が不足しているのでは・・・?と思いました。
まるで自分のことのように涙が出ました。
主人公は、しゃべれるようになるのか・・・?とドキドキハラハラした記憶があります。
子供は、物と金と衣食住さえ与えとけば子供は、育たないと思っています。
愛情がなんなのか自分ではよくわからないです。思いやりがあって
子供を信じること、暖かく見守ること、子供の喜怒哀楽に話を聞くことなのかなと思っています。
この絵の主人公の悲しい眼差しがどこか胸に響いたんですよね。
ただ学生の時は、どうして胸がつらくなる原因がよくわからなかったです。
大人にこそみてほしい本です^^
子供は、愛がないとしゃべれなくなります。
機械的に接したところでもしゃべれなくなります。
ありがとうございました^^