誰かがやってくれるのは、当たり前ではない。
昔は、誰かがしてくれる、やってくれて当然だと思っていた自分でした。
最近YouTubeで限界集落の田舎で若いものいじめをする老人の偉い人の物語を見ました。
若者が人不足のお年寄りに手伝ったのに役立たず!!!と怒鳴ったり、
村八分したりして若者を追い出すという動画を見て複雑な気持ちになりました。
若者や後輩や年下の人をいじめればいじめるほど歳をとった自分を
助けてくれる可能性がなくなるんだなと動画で学んだ。
また明らかに老人が悪いのに他の村の者は、悪いとは思わないのに複雑な気持ちになった。
自分が若い時に年上の先輩にいじめられたからって辛かったのを・・・
それを後輩や若いものにいじめると・・・若いものが離れるリスクがある。
誰かが若い人や理不尽に攻撃するのをやめないといけない。
お店の人、好きなアニメ、漫画、食べ物、美味しい食事など
当たり前のように存在しているものだと思っていました。
無職になってからしてもらうのが当たり前のことについて考えることが増えました。
してもらって当然だと思っていた時は、ありがとうと言わなかった。(言っても義務的で冷たい感じでした)
私は、親、家族からしてあげてるから感謝しなさい。
と言われて育ったと思います。誰のおかげで
助かっているんだとか言われて育ちました。
私は、〜してあげてるから感謝しなさいという人が苦手です。
昔は、怖かったからしてくれてありがとうと言っていました。
私がいたから助かったでしょなどの人です。
そういう人たちに私がしたことは、あまり感謝されないし、
してもらって当然だと思っているから私は、
お礼は言うんだけどなんだか複雑な気持ちでいました。
ありがとうと言うけど義務的に言う。(冷たい感じでお礼を言うか言われないこともある)
私は、当たり前のように尽くしてきました。
尽くしたところで特に感謝されることもなく、感謝されても義務的にありがとうと言われるだけでした。
家族は、よく文句を言っているのを見て育ちました。
店員さんが気に入らない、サービスが気に入らないと
大した事でないことも理不尽にクレームを言っているのを見ました。
私も自分がしてもらって当たり前だと思っていたのは事実です。
私も昔は、文句ばかり言ってましたから。(ただお店の人に向かっては言えなかったので陰でぐちぐちと言っていました。)
最近は少しづつして当たり前のことに少しづつ考えています。
好きなものがあるってすごくありがたいなと思ったり、お店の人がいるから品物が買えたり、食べれるわけだ。
お前のためにしてあげてんだだから感謝しろ!お前は何もできないくせにというのは苦手だけど(してあげたんだから感謝しなさい!感謝の押し付けなどです)
私は、
心から感動したこと、嬉しかったこと、おもてなしに感動したことなど
にはありがとうと言いたいです^^
美味しい料理を提供してくれる、好きなものが楽しめる、好きな本を買える、好きなアニメ、漫画、映画が観れるなど。スーパー、コンビニ、ホテル、美味しい水が飲める、
美しい景色が見られる、海が見れる、乗り物に乗れるなど
当たり前に存在しているものだと思っていましたがそうではなかったのです。
相手にしてあげたのにお礼が言われないと腹を立てるのは、自分にもそういうところがあると気がついたのです。
人の嫌な部分に目につくのは、自分も勉強するところがあるから
もし気が付かなかったら
私も歳をとって横柄な態度をとって何も気づかずに成長したら親のように文句ばかり言っていたことと思います。
自分が高齢者になった時若いものを虐めたり、文句言ったりしてたと思います。
役立たずと若い者を叫んだりしたら・・・
若い者は、私のことを嫌いになって離れるだろう・・・
なので私は、今ある幸せや誰かがやってもらうのを当たり前と思わないように
感謝して生きます。
最近嬉しかったことは、大好きなイナズマイレブンのゲームの新作の情報が出たことや
暖かい部屋でのんびりできること、初詣に神社が行けたこと、フライドポテトが食べれたこと、ブログで自分の思いを伝えることができること、大好きなアニメを見れることです。(すごく普通ではありますが嬉しいのです)
やたらお金持ちになりたい人や幸せを追いかけている人が多いけど、
案外平凡な日常が一番幸せだと気がつきます。
少しづつ小さなことです。少しづつ当たり前だと思っていたことは、当たり前ではなかったと気がつきました。
読んでくださりありがとうございました。