結論 当たり前のものなんてないことに気がついたこと
今普通にできているスマホや卵、食べ物、パソコン、建物、機械などの
当たり前だと思っているものは、多くの歴史と作ってくれた人と
人々の愛が込められて今があると思います。
特に人は、横柄な態度をとってしまうと、周りの人が助けてくれたこと当たり前にできることを
忘れてしまいます。だから多くの人に助けられたり開発してくれたから
便利に生活ができるのです。このことを忘れず心に刻んで前に進んでいきたいと思います。
初めに
私が約18歳から22歳ごろまで働いた養鶏場で働いた経験のお話になります。
私が若い時に同期、周りの先輩方、後輩に
揉まれながら成長した経験と感じたことを書いてます。
自分の中にある無意識の記憶です。
私は自分の気持ちをうまく伝えるのが
苦手だから絵を描いたり文章を書いて気持ちを伝えます。
私に出来ることは、文章、絵を描く時に自分の願いを込めて魂を込めて絵を描くことです。
本当は喋るのが苦手だと思いこんでいるだけで本当は喋れると思います。
思い込んでいるだけなのだと私は思っております。
私にとって昔は、養鶏場で働くことは、
昔は、当たり前だと思っていたのですが
他の人から見たらどうやら当たり前ではないらしいです。
かなりレアらしいです。
気になっている方もいるようなので驚きました。
ひよこは、かわいかったでしょう?
鶏はかわいかったですか?などと聞かれました。
もしかしたら他の人からみたらワクワクして気になるお話だったのかなと今なら思います。
養鶏場の仕事は、オフィスのような綺麗な仕事ではなく、汗水垂らして働いた記憶があります。
夏は暑く冬は寒かったです。
私は、ニワトリ大好きです。
鶏を見るとテンション上がります。
鶏好きで働いている人は、ほぼいなくて
仕方なしに働いているという人ばかりでした。
私が特に辛かったのは、鶏が廃鶏になる時は、業者さんが鶏を
かしわにするために(しわい肉のこと)
連れて行かれる時のあの時の悲鳴は忘れられません。
鶏も自分の死期はわかるようです。
私もできることなら鶏に行かないでと言いたかったけれど・・・
私の力ではどうすることもできなかったのです。
あと弱い鶏は、淘汰されてしまうことでした。
男の人が鶏の首を絞めて殺すのですが私は辛かったですね。
人間も同じなのかもと思いました。
弱きものは淘汰されてしまう・・・
仕事で生きるために仕方なしにしていたのですが
鶏たちがいてくれたから私は、幸せと引き換えに服やゲーム、お菓子が買えていたわけです。
多分あの時お世話した鶏たちは、天国へ旅たったのですが
元気にしているかなあ・・・と辞めてからも考えることがあります。
私も当時働いていた先輩や後輩などに鶏が出荷されるのは、悲しいと言いました。
そしたら生きるために仕方ないのよと言われました。そんなことをいちいち考えていたら
やっていけないわと言われました。
せめて忘れないように鶏にありがとうと言おうと話した記憶があります。
私は、中身は子供で・・・純粋なまま育ってしまったんです。
汚れをしらないです。
なんとなく大人って汚いなと思うこともあります。
人は、生きるために食べ物をいただいています。
綺麗事でしかないけれど・・・生きるために食べないとお腹が空いて
何かを食べたり飲み物を飲んでないと死んでしまうからです。
目に見えないものだからなかなか現代人にはわかりづらいお話だと思います。
当たり前のように使っているスマホ、食べ物、飲み物、建物などものは
誰かが作っている方がいたり
誰かが開発してくれたから私たちは、生活できるんです。
鶏をみて私は、感謝して生きようと思いました。
綺麗事でしかないのですが・・・
してもらうことが当たり前だなんて思わないようにします。
私が無職になってから初めて気がついたのです。
自分がどうするか真剣に考えるようになったのです。
多分どんな仕事でも意味はあるのだと気が付きました。
業者さんが廃鶏になったあと
柏の肉を提供してくれたことがありましたが
固すぎて不評でしたし
多分死んだ鶏を思い出し
不人気でした。
つまり硬くてしわいし食べられないから
不人気だったんです。
噛めば噛むほど
ダシが聞いて美味しかったですよ。
親子丼に使われるお肉のことですね。
卵や美味しい唐揚げが食べられるのは、
鶏が頑張って働いているから。
そして養鶏場で働いてくれている人がいます。
私はその当時卵が食べられませんでした・・・
コンベアにたくさんの卵がたくさん流れてきて
たくさんの卵をみて選別をしていたので・・・
気持ち悪いと思って食べられなかったのです。
ただ矛盾はしているのですが唐揚げと
オムライスだけは食べれました(⌒-⌒; )
私は、鶏が可愛かったです。
鶏を毎日のように見てたのでニワトリの絵が描けます。
多分今でもニワトリは、持つことが出来ます。
特に茶色の鶏が好きです。
給餌機が動いたら鶏が一斉にご飯を食べ始めたら
みんな揃って食べてました。
私はその光景が面白くて笑ってました。
機械が動き出し、鶏が🐓事故でお亡くなりになって首が…残酷に
というシーンもありました。
イタチか猫がニワトリを襲い、
鶏の首だけ食べられたという残酷なシーンもありました。
絵では可愛く描いてますが
実際は、檻に入れられて
ぎゅうぎゅうに鶏が詰められて
ました。
鶏でも強者弱食の世界があって
弱い鶏は、淘汰されます。
人間でも強者弱食だと思います。
機械は、便利だけど一歩間違えば事故や怪我になることを学んだんですよね。
多分命懸けで私なりに仕事をしていました。
必ず作業をするときは、機械を止めて作業をしてました。
油断すると大怪我したりする危険性があったからです。
高いところに登る作業は、苦手なんだけど
震えながら作業をしてました。
初めてハシゴに登り、7段目に登って足が震えながら
下を見たことは忘れられない記憶です。
本当は怖くて私にはできない。と働いていた人に言いましたが
やるんだ!と言われて
自分が勇気を出してはしごに登れたことは、今思えば嬉しかったです。
その当時は、スパルタで嫌だ・・・逃げ出したいと思っていましたよ。
ニワトリが死んでいた時初めてケージを開けて取り出すとき
私は、生きているニワトリが怖くてできません。と泣きそうな目で言ったけれども
スタッフの方が
まず自分でしてみなさいと
言われ泣くような思いをして
死んだ鶏を取り出したことも良き思い出です。
あとは鶏をいっぱい入れた台車を運んでいた時に下に落ちそうになり・・・
泣きそうになり、ただ必死に鶏を守ろうとしてました・・・
落としたら鶏が死んでしまうし、助けてと言えなかったのです。
他の人が見つけてくれて
重たい台車をみんなで支えて助けてくれました・・・
失敗したから台車をうまく動かせるようになったんです。
ちなみに死んだニワトリは、生きている鶏に踏まれて
死んだらうちわのようになることもあります。
めっちゃ臭かったです。
匂いが染み付いて取れなかったです。
鶏舎でネズミが死んでいたこともあり
私はきゃー🫣🫣🫣と悲鳴をあげりしたら
オカマみたいな叫び声だなと笑われたり
なんでそうなる…とツッコミを入れたかったり
ヒヨコを抱っこしている●●に
大爆笑してしまったこともありました。
あの当時に働いていた仲間は元気にしているのかなと思うことがあります。
多分どこかで元気している人もいたり・・・
亡くなられている方もいるかもしれません。
ゴキ●●がいた時ぎゃー(ぎゃー)(ぎゃー)(ぎゃー)と叫ぶとオカマみたいって言われたので
私はオカマみたいな叫び声なの…?と軽くショックを受けました。
ボス的な存在の先輩にインタビューをして
昔の私は、怖いもの知らずで
好きな食べ物は、何ですか?退職されたらどこか行きたいところありますか?
と聞いたりしたことが
懐かしいです。
私は、ボス的の存在のKさんが退職されるのが寂しくて
最後の〇〇さんと言ったら
それじゃわたしは明日には棺桶…と言われて
怒られた記憶があります。
失礼な発言をしていたことは反省します・・・(⌒-⌒; )
Kさんが何に使うのかよくわからなかったけれども
空のドラム缶を🛢コロコロ回して
転がしてください。と言われた時の
記憶が面白くて大爆笑してしまいました。
(機械の道具を洗うためにしてました)
あと私は、いつも下を向いていたため
下ばかり向いてないでと言われましたね。
お金が落ちていたらいいけれど・・・笑と言われました。
今となれば失敗したことは、笑い話になります。
私がドラム缶に入っていた灯油をこぼしてしまい…
卵を出荷する場所が油だらけになり
みんなが仕方ないわねとぶつぶつと言いつつ助けてくれたことは、感謝してます👏
油の匂いが充満し、シャッターを開けて換気して
タオルで拭いたりして綺麗にした覚えがあります。
油臭かったけれども
みんなが助けてくれたから
何とかなりました。
ありがとうございました♪
私は、偉い人が冗談で私の頭を叩く時怖くて言い返せなかったです…
本当は、痛いからやめてください!と言うべきだったけれど恐怖で言えなかった…です。
多分その原因は、自分の過去に結びつくものがあるから。
怖くて何も言えなかったんです。
私が犯したミスにより、鶏が100羽ほど死んでしまったこともあります。
グループでの責任だったのですが私も気づかなかったと言うことなので
怒られました。
水は命を繋ぐための大事なものだと失敗をして
初めてわかったのです。
それから必ず水が出るかを確認をするようになりました。
当然グループで怒られました。
なんでミスをしたんだ・・・なんで失敗せずに完璧にできないの?と言われましたが
人間は、いくら失敗をしないようにしても失敗してしまう時があります。
最近は、走馬灯のように流れる自分の記憶…です。
忘れることが出来たら幸せなのに
思い出してしまうことがあります。
自分は、ロボットのように振る舞うことは、出来なかったです。
辛かったこともたくさんあったけれども
今となれば笑い話になります。
失敗ばかりして公開処刑になったことも今となれば笑い話になります。
偉い人などをイラストに描いて楽しんでみたりしました・・・
それぞれのキャラクターの性格を活かしてこっそり楽しんでおりました。
私の黒歴史なのですが楽しかったですよ^^
昔の私は、不平不満、文句と悪口ばかり言ってました。
キラキラしている人が許せなかったのです。
でも本当は、私もこんなふうにキラキラなりたいなあという
憧れがありました。
会社の人の●●と●●が禁断の愛の誓いのキスを見てしまった日から嫌がらせも始まったんですけど
当時は辛かったけれども今となれば笑い話ですよ。
なんでみんなが集まるような
集卵場でするのって思ってました。
多分実際の現場を見た時は
ウエーとなりましたから。
多分本人らは、バレてないと思っていても大体の人が言わないだけでバレているんだなと思った経験でした。
せめてするなら誰も来ない山の中でして欲しかったですね。
本当は、愛を見せたかったのかもしれないですね。
この人たちは、愛に飢えていたのかもしれません。
そう思うと可哀想にみえてきました。
私は、前の会社に戻りたいか?と思うと戻りたくはありません。
けれど昔の私が頑張ったことは認めます。
自分が頑張ったことも無駄ではなかったんだと気が付くことができたから・・・
よく上の方からあなたは、失敗ばかりで遅くて仕事ができないと言われたけれど
私は、自分は頑張ったと思います。
たとえ人から認められなくても・・・
勇気を出して認めました。
遅いわね。とか言いつつたくさんの方が助けてくれました。
そのことは今でも感謝しています。
そのときは、私に自立させようとしてくれる人が大嫌いだったのですが
今思えばすごく感謝してます。ありがとうございます!
たくさんの人に愛されて支えられて助けられていることがわかったのでした。
ごく一部の人がわがままを言って横柄な態度を取っていたのです。
特に私が大好きだった二人のベテランの女の先輩があなたは、
同期のなかで一番仕事ができると
言われたことは、本当は嬉しかったのです。
私は、同期の中で一番仕事ができず遅いと思い込んでいたから・・・
ただ私の場合は、不器用で遅く飲み込みが悪くて
うまく要領よくできる子と比べたら遅かったのです。
いつもすぐにボロが出てバレてしまい、偉い人に怒られて
失敗したことをネチネチと怒られました。
私は、遅くて飲み込みが悪く鈍感で不器用で失敗だらけの人間でした。
多分どうでもいい人には、私には注意して言ってくれなかったでしょう。
もういいから。私がしておくわ。となると思います。
いいなあ。他の同期は失敗もしてなくて・・・と思っていましたが
失敗すればするほど人は、成長ができるんだと気がついたからです。
特に自分が本気を出して挑戦した失敗は良いと気が付きました。
私が大好きなテイルズオブジアビスというゲームでは、
老マクガヴァン というおじいちゃんキャラが
主人公ルークに言うセリフが大好きです。
年寄りには気に入らん人間を叱ってやるほどの時間はない。
ジェイド坊やも同じじゃよ・・・
@BNEI/BNP.バンダイビュジュアル original character Design@藤島康介 テイルズオブジアビス
昔の私は、大好きだった人が卒業したり・・・
辞めていくことは辛かったです。
もうこの人がいないと生きていけない・・・私は
どうしたらよいのと絶望感を感じました。
私はただ前に進むのみです・・・
ひたすら前を向いて歩き続けます。
死ぬ前に楽しかったなと言えるようになりたいのです。
私なら生きていけます。
多分叱られている人が一番愛されているのかなと思いました。
それだけ注目してくれていることだと解釈してます。
ありがとうございました!