私が妓夫太郎と堕姫がなぜ私が大好きなのかというと
自分の良いところと悪いところが似ているから大好きです。
堕姫は、理想への憧れ、美しさ かわいいもの、無邪気なところ、天真爛漫 弱い
悪いことをしても心が痛まない(悪気がないこと)子供のまま大人になっているので
善悪がつかないこと。
妓夫太郎は、自分の中にある醜い心 欠点 自分は、ダメな人だと思うこと
自分は満たされてないと思うこと 醜い 不細工
(不細工とか醜いと妓夫太郎が言っているが
私は、醜くはないと思います。育った環境に
よって人は、こんなにも性格が違ってくるので)
私にとっては自分の中にある闇のような存在です。
炭治郎と禰󠄀豆子は、光のような存在だけど
妓夫太郎と堕姫は、闇のような存在です。
私は、妓夫太郎と堕姫の方が大好きです。
弱い部分、醜い部分を見つめたり、自分は親からありのままの自分は、愛されてなかったと認めるのは
かなり勇気がいることなのです・・・
鬼滅の刃の遊郭編は、見ていてすごく苦しくて
悲しいお話だと思っており、
見るのが辛かったです。
多分堕姫は、幼児のまま大人になってしまったから・・・
成人している割にはどこか子供っぽく悪いこと、酷いことをしても
なんとも思わないところに心が痛くなりました。
天真爛漫な堕姫を見て心が惹かれるものがありました。
華やかでワガママな堕姫が少しうらやましかったのです。
妓夫太郎は、自分が嫌な感情の
恥、憎しみ、恨み、悲しみ、苦しい、鬱々・・・とした気持ちが出てきて
辛くて一時期見たくないと嫌になったこともありました。
私の中にもある醜い部分を思い出すことになるから。
その反面美しい堕姫は、綺麗への憧れを投影しました。
私は、堕姫と妓夫太郎は、美しさと醜さがあるので
大好きなのです。
私そのものだからです。
完全に良い人なんていないと思うから
ただ表に出すか出さないかの違いなんです。
自己投影というものを最近学びまして、
自分と似ている人、自分が特に嫌だと思っている感情を
漫画のキャラやアニメ、現実の人などにて
心惹かれたり、もう嫌見せないでよヽ(;▽;)
と自己嫌悪になります。
私が小さい頃からアニメ、漫画に逃避するのは
自分が親から愛されてない(ありのままの自分は愛されてなかった)
ということ、人間と向き合うことが嫌で
逃げていたのだと今気がつくことができました。
多分小さい頃に子供らしく振舞うことが毒親の前では
あまりなかったからもあると思います。気をつかっていましたし、
親の方が子供でしたし・・・
醜く完璧ではない自分・・・だけど
そんな自分を愛してみます。
堕姫と妓夫太郎の兄妹は、自分が過去の辛かったこと・・・
憎しみ 悲しみなどの感情と向き合うチャンスだと個人的は思っています。
自分の心の習慣、行動を変えるには、
今から意識して自分の中にある醜い部分を見つけて向き合うこと
だと思います。
自分と向き合う作業が辛くても・・・
向き合います。
堕姫や妓夫太郎を見ていて感じたことは、
人は、一歩間違えると他人を恨み憎しみの気持ちを持つようになる。
堕姫と妓夫太郎は、まわりの人から愛されなかった
おかしいと嫌われて味方がいなかったと思う。
誰も味方いなかったり頼れる人がいなければ
自分しか信じられなくなると思います。
周りは敵だと思い込むようになります。
一歩間違えば堕姫と妓夫太郎のように酷いことをされたら
他の人にやり返せとなるのかもしれないと見てて
悲しくなったことがあります。
自分も無意識に嫌なことをされたら他人に
やり返していたと思います。
堕姫と妓夫太郎は、大好きだから幸せになってほしいなと思います^^
狭い世界で生きていたのだろうと今なら思います。
自分も狭い世界でグルグルと生きていたので
今も狭い世界で生きているようなものだから・・・
だけど少しづつ新しいことをしたり新しい出会いをしてみます。
ありがとうございました!
私にとって鬼滅の刃は、幼い頃の自分を思い出して
憎しみと悲しみが出てくるものでした・・・
特に遊郭編は、自分の幼少期を思い出して辛くなるのです。
狭い世界しか知らなかった自分ですから。
遊郭編は、辛いけれど美しくて大好きな作品なのですよ。
堕姫と妓夫太郎がまるで自分のように愛おしいのです。
誰も育った環境によって人は、性格が変わってきますから。
美しく醜い世界が大好きですから。
私は、堕姫や妓夫太郎目線で生きていました。
だから堕姫や妓夫太郎を味方したくなる気持ちもわかります。
気になった方は、ぜひ見てほしいと思います^^
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